夏に感動を覚えるイベントの1つと言えば、高校野球ですね。
高校生たちが青春をかけて戦う姿は、時として涙を誘うものがあります。
そんな甲子園での熱闘を終えて、選手たちが行うことと言えば、甲子園の土を持ち帰るという行為ですよね。
では、これは一体どのような意味があり、いつから始められたものなのでしょうか?
そこで、気になる甲子園の土の由来などを調べてみました。
甲子園の土を持ち帰ったのはいつから?
甲子園の土を持ち帰るようになったのはいつからかというと、これには主に2つの説があります。
まず1つ目は、昭和12年の話です。
この時の甲子園は、第23回大会。
甲子園がいつから開催されていたのかも知らない人からすれば、そんなに古くからの歴史ある大会だったのかと驚いてしまいますよね。
この大会の時、熊本工の川上哲治投手が中京商に敗れ、その際、小さな袋に甲子園の土を入れてポケットに入れ、持ち帰ったという説があります。
川上哲治投手といえば、巨人でも監督を務めた有名な選手。
そんな彼が始めたかもしれないのが、甲子園の土を持ち帰るという風習なのですね。
それからもう1つの節は、昭和22年に開催された第29回大会での出来事です。
こちらの大会では小倉中学が優勝しました。
そこで、投手として激闘した福島一雄選手が「記念に」とポケットに入れて持ち帰ったという話があります。
これらの説は古い話であるため、どこまでが真実なのか分かりにくい部分があります。
ですが、いずれにしろ「いつから」始まったのかという話は、昭和の前半にさかのぼるほど、古い歴史のあるものだということが分かりますね。
甲子園の土が持つ意味
試合に負けた後、球児たちが汗と涙でぐしゃぐしゃになりながら土をかき集めている姿は、もはや高校野球の名シーンとなっています。
そんな甲子園の土は、一体どのような意味があるのでしょうか?
この意味は、集めている球児、それぞれに考えるところが違うでしょう。
ですが簡単に言えば、記念です。
高校球児にとって、甲子園と言う場所は特別です。
ここに立てた、土を踏めたというだけでも大きなことですね。
そこで、その記念に持ち帰るのです。
では、そんな深い意味を持つ甲子園の土は、持ち帰った後どうなるのでしょうか?
これも人それぞれですが、多くの方が瓶などの入れ物に入れて、記念としてとっておくようです。
中には、自分の高校でグラウンドに撒くというところもあるようですね。
また、お土産のような感じで、お世話になった方々に配ることもあるようです。
ただの土に見えるかもしれませんが、高校球児や、そんな球児を支える周囲の人にとっては、非常に深い意味のあるものなのです。
甲子園の土はどんな土?
いつからか、選手が持ち帰るのが定番となってしまった甲子園の土ですが、一体どのような内容のものが用いられているのでしょうか?
実はこれは、ブレンドを微妙に毎年変更しているそうです。
そのくらい、こだわりのある土が使用されているのですね。
例えば高校野球には、春の大会と夏の大会があります。
すると気候も違ってきますので、それに合わせて土の配合比率が変わります。
春には砂が6に対して土が4、夏には砂が4に対して土が6となります。
このように、深い意味を持って配合された、野球に適した土なのです。
そんな甲子園の土ですが、毎年、高校野球では1試合で2トンもの土が持ち帰られると言われています。
そのため、「持ち帰ってはいけない」という説もあるようです。
ですが選手が土をかき集めるシーンは名物の1つでもありますので、一応、容認されているようですね。
次の試合が始まる前に素早く、と指示されながら、必死にかき集めていたという経験談もあります。
ちなみに、沖縄の場合には過去にアメリカの統治下にあった時、検疫で、この土が引っ掛かって持ち帰れなかったということもあります。
その際には、選手がかわいそうということで、航空会社の客室乗務員が後日、甲子園の石を高校に贈りました。
このように、甲子園の土には様々な歴史と意味があるのですね。
まとめ
甲子園の土がいつから持ち帰られるようになったのかという話は、歴史が古すぎるため、正確な情報は見つかりにくいようです。
ただし、こちらで紹介した2つの説は有力だと言われています。
そんな甲子園の土、選手たちにとっては大きな意味のある、宝石よりも価値のあるもの、と考えられます。
甲子園という大舞台に立てたことを自信と誇りにして、今後の人生でも何かあった時に、土を見ることで自分を奮い立たせることができそうですね!